dingodingoの日記

夫、双極性障害。その家族の日記。離婚までの道のり。

過去日記2018年9月25日~9月27日の日記

9/25
夜、夫から電話がかかってきた。
気分が良いので明日はジムに行くと、言っていた。

9/26
朝、会社に行く途中、義母から電話がかかってくる。
車の中だと伝えると、「着いたら連絡ください。」といつも言ってくる。
朝からあんたの声なんか聞きたくないよ。それでなくても会社に行くのにテンション下がっているのに。。
この前の病院の件もそうだが、なんだかこちらに丸投げしたくて仕方ないのがみえみえなんだよ。と、朝からイライラしていたのもあって、適当に、夫の実家近くの大学病院でよい先生を知らないか?とメールしてみた。
義母は、お金持ちの知り合い。とか、大学の偉い先生。とか、とにかく名声が好きである。そして、名声のある人の知り合いであることを何よりも誇りに思ってる人である。私はそれを利用しようと思った。
メールすると、すぐに、良い先生を知っているという。
だったら、自分の家の近くのそのすごい先生に初めから診てもらえばよかったのに。と思ったが、まずは飲み込んで、お願いした。
すぐに話をつけてくれるということだった。しめしめ。。

「明日はジムに行く」と言っていたのに、息子が起きてこないと、義母からメールが入る。
私は仕事中だ。
新幹線で移動するような場所にいるのに、同じ家に住む義母に、夫を起こすことはできないのだろうか。
私に起こしてくれとメールで頼んでくる。意味が分からない。
病院の件も頼んだことだし、渋々外に出て電話をかけた。
ジムに行かないのか聞くと「行けたら行く」。もう10時半である。
まだ寝起きだった。
義母に、起こしたけれど、また寝てしまったかもしれません。とメールすると、
「あと30分したらお義父さんが帰ってくるから、その頃にまた起こしてもらえないか」とメールがきた。

何なのこの家族。。
同じ家に住んでいるのに、会話が成り立っていないのである。
朝起こすことすらできないのである。
一体いつからこんな状態なのだろう。
これでは80/50問題である。

結局この日、またお義母さんからメールで、「10月12日はやはり私も一緒に病院に行くことにしました」ときた。
そして、また電話をしてほしいと言ってきたので、私は日中仕事中なので、あまり電話はできないとはっきり伝えた。
が、しかし、メールではあまり伝わらないからやはり電話をしてほしい。ということで、昼過ぎに電話した。
一つは「10/12の病院は一緒に行く」
もう一つは「義母が一緒に病院に行くことを、息子に話してよいだろうか」という件。
?????
なんで息子との会話んいいちいち私の許可が必要なのか意味がわからなかったけど、「親子なんだから良いんじゃないですか?」と返事しておいた。
こんなことでいちいち電話しなければならないのだろうか?

息子にはこれだけ遠慮しているのに、何故私や私の家族には遠慮のかけらもないのだろう?
不思議で仕方ない。

一日中振り回されて、胃が痛い。

9/27
ジムに行ったと連絡がきた。
「明日は、あの親切な人が訪ねてきてくれる」と嬉しそうに言っていた。

10/12の件をお義母さんと話したのかどうか聞くと、全然知らないという。
何も話していないらしい。。
「えー??一緒じゃなくて良いよ~」と、完全に否定する。
でも、母親なんだから一緒にくるのは普通だと思うと言うと、でも一緒の電車では行かないという。
何故こんなつまらないことで、こんなにも意固地になるのか皆目見当もつかないが、一緒に行きたくないのは息子側だけでなく、母親も同じらしい。

「一緒の新幹線に乗って2人で来たら良いんじゃないですか?」と言うと、
「私は仕事ついでに行くから別々で行くと思う」と言う。

過去日記2018年9月22日~9月24日の日記

9/22
娘の学校の運動会。
昨夜は、もう一つの事業所から、こちらの家の近くのカプセルホテルに泊まったらしい。
家は、今改築中で、寝る部屋がない。
朝、比較的明るい顔で家に来た。
学校に行くと、娘の友達の顔見知りばかりなので、ずっと携帯を見ている。
人から離れたいらしい。
こういう態度だと、周りの人にも迷惑をかけるので、友達と一緒にお弁当を食べたいだろう娘には悪いけど、知り合いとは別れてお弁当の場所を確保した。
娘がかわいそうだった。
夜は、私の胃の調子が悪いので麺類を食べに外にでた。
この日は別のカプセルホテルに泊まった。

9/23
日曜日だったので学校が休みのため、一日家にいた。娘がこの日、大嫌いなスイミングをやめることになったので、最後のスイミングを見に行ったけど、私が友達と話に夢中になっている間ずっと寝ていたらしい。
昨夜は、久しぶりに一日中外で過ごして疲れたのか、よく眠れたと言っていた。
午後、履いていたジーンズがボロボロだったので、ジーンズを買いに行った。
新しいのを買おうというと、「いらない」というので、強制的に車に乗せて連れて行った。
あまり遅くなるのもよくないと思い、買い物が済んだら駅に連れて行った。3時くらい。夕食を実家に帰って食べられる時間。

これから、映画でも見に行くと言っていたので、心配になって電話をかけても出ず。
結局この日は実家まで帰れず、翌日ジムに寄って帰ったらしい。

9/24
義母から電話があり、探しておくと言っていた大学病院のカウンセリングの予約の話をする。
知り合いがいるので、その人に聞いておくとのことで、電話があった。
結局その先生は、大学病院の先生ではなかった。家から2時間はかかるであろう山奥の病院の先生だった。
同じ県内でも、これでは通うことができない。
とりあえず、カウンセリングの先生とは気が合わなければ話ができないので、10/12に予約を入れたという。

そして、こちらの近所に「ウイークリーマンションないかしら?」と、まだ言っている。
「そちらにいたほうが、息子が楽だから」と言うのだ。
家はリフォームしているから、私の両親と一緒に寝ることになるので、これではますます環境も悪くなると何度も何度も言ってあるのに、どうしても自分の近くにいるのが嫌らしい。
本当に息子なのかどうか疑問に思えてしまう。
ウイークリーマンションで一人にさせることが心配ではないのだろうか。

私は、「絶対に一人にしてはダメです」と釘を刺した。

過去日記2018年9月8日~9月12日の日記

9/8
もう一つの事業所から娘に電話があった。
一泊して土曜日までいたらしい。
もしかすると、もう一泊するかもしれないとのことだった。
気分が高揚していて、今なら地元の仕事の人たちにも会えるような気がする。と言っていた。
明日はジムの体験レッスンを予約したという。

9/9
昼過ぎころ、買い物中に電話がかかってきた。
ジムに行くんじゃなかったのか。。
もう、行ってきたという。
入会したのか聞くと、まだ入会はしていない。という。
全く意味がわからない。
やる気というものはないらしい。

この前荷造りしたときに、ジャケットを入れ忘れたので送ってほしいとのことだったので、クリーニングに出したジャケットも含めてたくさん夫の実家に送った。
その中に「仮面ひきこもり」と「ひきこもりと家族トラウマ」を入れておいた。
手紙がなかなか書けないので、とりあえず2冊読んでみてと伝えた。

9/10
夜8時ころ、娘に電話がかかってきた。
娘はずっと電話を待ってたようで、「やった~!」と言って、よく話していた。
ジムに行ったか聞くと、「行っていない」
本を読んだか聞くと「すこしだけ」
ということだった。

9/11
電話なし。

9/12
電話なしだったが、こちらからかける。

ジムには行っていない。
本も読んでいない。
部屋からほとんど出ていない。
と言っていた。

過去日記2018年9月3日~9月7日の日記

9/3
この日は電話がなかった。

9/4
娘が習い事に行っている間、電話がかかってきた。
今日は、ジムの体験レッスンに行こうと思っていたのだけど、台風が来ているらしいから、行けなかったとのこと。
娘は嵐の中、元気に習い事に行った。
ジムに行こうと思っているのなら、少しば良いのかなと思う。

娘が帰ってきたら電話がほしいとのことだったので、電話してもらう。
娘が「お顔が見たい」とのことだったので、Facetimeで話をした。
割と元気そうだった。

9/5
この日は電話がなかった。
明日は木曜日。
先週の話だと、別の事業所へ1泊で行くとのことだった。

9/6
娘の携帯に電話がかかってきた。
この日は木曜日だったので、別の事業所へ行くはずだったのに、行けなかったのか。。
金曜日から1泊の予定だけど、もしかしたら2泊するかもしれないとのことだった。
本当なのかどうなのか、もうわからない。
家の中にいすぎて、少し妄想が始まっているのかもしれない。

ジムに行ったのかどうか聞いてみたけど、送迎してくれる人がおらず行っていないとのことだった。
田舎だから、車での送迎は必須だけど、そんなに時間がかかるわけでもないのだからだれか送迎してくれても良いだろうと思う。
路線バスをつかえば行けないこともないのだから、行く気がないのだろう。

この日は「そっちのほうが過ごしやすい」
「そっちに帰りたい」
「家の近くに泊まれるところがないだろうか」等を繰り返していた。

9/7
電話なし。

過去日記2018年8月30日~9月2日の日記

8/30
夕食後、娘の携帯に電話があった。

今日は何をしたのか聞くと、「本を読んだ。漫画だけど。」
両親と話ができたか。「あんまり」
ジムに行ったのか。「まだ」
日の光を浴びたほうが良いと病院で言われたのでは?「屋上で日光をあびた」
割と元気そうだけど、元気なのに外に出られないのではもっと鬱になってしまう。

メールをしておいた服部先生(狭山心理研究所の先生で、現在はアメリカにご在住。昨日届いた本を書いた方)の事務所からも連絡があった。
双極性障害でもカウンセリング可能とのこと。(オンラインで)
あとは本人のやる気だけ。

「ひきこもりと家族トラウマ」という本も届いた。これも、服部先生の本。

8/31
夕食後、娘の携帯に連絡があった。
この日、別の事業所に行ったとのこと。
今度は本当に行けていることを願う。

9/1
夕食後、娘の携帯に連絡があった。

相変わらず、娘は横暴に電話を切っている。
前日の仕事はどうだったか聞くと「よかった」と言っていた。
来週は1泊で行くらしい。
良かった。
ジムにも行ったほうが良いと医者から言われているのだから明日行くように言った。

服部先生から随時メールが来ている。
双極性障害との関連性を質問したが、そちらは精神科医の領域らしい。
がっかり。

9/2
夕食後、娘の携帯に連絡があった。
めずらしく落ち着いて話している。

ジムの契約はどうしたか聞くと、「まだ行けてない」とのことだった。
まずジムに行く足がないということなので、連れて行ってもらえないのか聞くと、日中が義父も義母も忙しいので、夜なら連れていけるとのこと。
それでは規則正しい生活を作ることができないんだけど。と思った。

両親と話ができているのか聞くと、「あんまり」という。

8月の忙しい中、緊急だからと突然アポなしで訪ねてきて、反省したはずだったのに、その後も親子の会話なんてほぼないのである。
散歩だってさせる。話もすると言っていたじゃいか。
こんな人たちに「あんたのせいで息子が病気になった」と言われていたことに無性に腹が立つ。

どんなに夫にこのことを嘆いても、小さなころからこの状態で育った人に今更会話を持てというのも酷な話だろう。

過去日記2018年8月27日~8月29日の日記

8/27
今日からリフォーム開始。
朝、最近にはなくひどく落ち込んだ様子だった。

夫は、実家へ帰郷した。

27日に病気の息子が帰るといっておいたのに、義父も義母もこの日は一日中忙しくしていたらしく、昼過ぎに最寄駅についているのに夕方4時まで迎えにきてもらえず、駅で時間をつぶしているらしい。

夫は大きな勇気をもって実家に向かっただろうに、迎えがこない。

夕方4時過ぎに迎えに来てくれたということだ。

いつ電車に飛び込むかわからない状態なのに、駅に一人で4時間も待たせる意味がわからない。

夜、娘の携帯に電話がかかってきたので、おそらく夜も一人でいたのだと思う。

明日は、向こうに行ってから初めての病院だけど、病院名前さえわからないという。
そんな話すら、親子の間でできないのだろうか。。

8/28
昨夜、娘の携帯に電話がかかってきたので、おそらく夜も一人でいたのだと思う。
今朝メールで、昨夜は色々話せましたか?と聞いたところ、
「あまり話していません」という返事がきた。

向こうが大雨で散歩には行けていないらしい。

夜、病院名が分かったとのメールが来た。
「○○クリニック」
クリニックかよ。。
お義母さんが、大きな病院で確かな診断をしてもらうために選んだのは、小さな町のクリニックだった。
それでも、私が選ぶクリニックではなく、お義母さんの選んだクリニックだ。
きっと、すごい先生なんでしょう。。苦笑

精密検査やセカンドオピニオンはおこなっておりません。とホームページに書かれている。

8/29
朝、散歩にいったかどうかメールした。
散歩に行く気分ではないので、病院で散歩していいのかどうか聞いてみるとのこと。
この前まで、家の片付けまでできたのに、散歩すらできなくなってしまう。
一体あの実家で、何があるのだろう。

結局、あの小さな町のメンタルクリニックでも、双極性障害と診断された。
脳波チェック等の検査は特になし。
ただ、白髭先生より詳しい対処法をプリントアウトしてくれた。
内容は、以前行ったセミナーで聞いたことがほとんどで、日光を浴びること、規則正しい生活をすること、運動すること等。。
白髭先生よりも、もっと活動するように仕向けているものだった。
ありがたい。
実家のある小さな町中を散歩するのは心苦しいということを先生に伝えたところ、ではジムにってはどうですか?と言ってくれたらしい。
たのもしい。

なのに、それ以来、両親との会話はあまりなく、ジムに連れて行ってくれたり等の動きは見られない。
ずっと家の中らしい。

娘の携帯に連絡があるが、娘が強力に拒否。
あまり話さない。パパに嫌悪感があるらしい。
反抗期以上のものを感じる。

服部先生の「仮面引きこもり」という本が届く。
全くおっしゃる通り。

過去日記2018年8月20日~26日の日記

8/20~24
娘の習い事の発表会のため、毎日練習に行っていたので、日中の様子はわからず。
ほぼ一日中家の中で過ごしていたようだが、我々が夕方犬の散歩に行けないためかすすんで代わりに散歩に行ってくれるようになった。

8/23
娘の発表会当日。
田舎から義父母を呼んでいたため、会場最寄り駅で待ち合わせさせた。
一緒に娘の晴れ舞台を見てもらった。
夕食にでも親子水入らずで行っておいで。と言っておいたのだが、頑なに嫌がり一緒に車で帰ってきた。

わざわざ田舎から出てきてもらったけれど、夜8時終了の長い公演だし、この日は朝からずっと会場に詰めているため、私も娘もくたくただから、夕食を一緒に食べることはできませんよ。とあらかじめ言っておいたのだが、やはりどこかに一緒に食べに行きたいと言ってきた。
第一私はこの人たちのことが大嫌いだということが何故伝わらないのだろう。。。
この夫婦のために、あんな目にあわされているのである。ご飯を一緒になんて食べたくないわ。

夫は家に一緒に帰ってきて、忙しい私の代わりに食器を洗ってくれた。

8/25
土曜日。
この日は、通院中の白髭の先生がいる病院で診断書をもらった。
田舎の実家での新しい病院に提出するためである。

リフォーム前、こちらで過ごす最後の週末なので、夜ご飯を3人で食べに行った。
3人で過ごす最後の晩餐みたいだった。
この日は少しビールを飲んでよいかと聞くので、少しくらいなら良いんじゃないの?といった。
いつだってお酒をやめろなんていっていないのだけれど。。

この最後の晩餐の時は、いつになくよく話していた。
小さい頃の習い事のこと。
自分からやりたくて始めた習い事は一つもなく、全てお義母さんが決めた。
両親が職場に押しかけてきたりするのが本当に嫌なこと。
病気になった後、最初のころは一生懸命通っていた、実家ではないほうの事業所に勝手に連絡を取って息子はどうなのかと聞かれてしまったことがとても嫌だったこと。
大学4年間のサークルでは、自分の父が社長であることをずっとみんなに内緒にしていたこと。
家族3人で過ごした、海外での3年間がとても楽しかったこと。
今までしてきた仕事全て、お義父さんが決めてきたこと。

だったら何故どこかの時点で逃げ出さず、ずっと両親の言いなりになってきたのかと、疑問に残る部分はいくつかあったけど、よく話してくれた。

笑顔もよく、とても楽しそうだった。

8/26
リフォーム準備で一日中片付け。
朝から手伝いをしてくれた。笑顔もよいし、久ぶりに汗をかいた。
片付けをすると気持ちいいと言っていた。
夜、夕食の支度もできなかったから外食。
よく食べていた。
異様に水を飲んでいた。