狂気の始まり④2017年8月29日〜2017年9月8日の日記
8/29
夫、食事を済ませて帰宅。
8/30~9/1
実家以外の事業所へ仕事のため出かける。
帰りの時間を連絡するように伝えておいたので、帰りの時間をメールで送ってきた。
「22以降に帰ります」
24時になっても帰ってこないので、25時になったところで、一度電話をかけた。
こちらの駅の近くの飲み屋で一人で飲んでいるという。
大雨だったので、迎えに行こうか?というと、傘を持っているのでこれから帰ります。というので、電話を切った。
駅から家まで歩いて10分なのに30分経っても帰ってこない。
夜中に駅まで探しに行った。
大雨の中、駅のロータリーをうろうろ探し回った。
何度電話しても電話に出ない。
また、どこかに行ってしまったのだろうか。
何度も何度も電話した。
一度家に帰ると、母が起きてきて、一緒に探そうと言ってくれた。
「大丈夫だよ」と言って、そのまま起きていると、どこをどう歩いてきたのか、26:30頃びしょびしょに濡れて帰ってきた。
飲み屋から家まで大雨の中、1時間半も歩いていたのである。
本人は、どうやって帰ってきたのかさえ覚えていない。
私だってクタクタだし、もう限界である。
胸のポケットからは、飲み屋の名刺が束になってこぼれ落ちた。何のためにこんなにいっぱいポケットに詰め込んできたんだろう。
9/2
外で二人で話した。
何もやる気が起きないという。頭も少し痛い。
いろいろな話をしていく上で、継げなくなった家業の話になると涙が出てしまう。
9/4
去年行った、あの白髭先生の病院へ行った。
懐かしいおじいさんが待っていたくれた。涙が出てくる。
お正月のこと、家業のこと、いろいろなことが重なって、うつ病を発症したとの診断を受ける。
薬をもらった。
9/7-8
実家経由で、もう一つの事業所へ行く予定が、また実家にだけは行けない。
夕方出発して、もう一つの事業所へ直接行く。
9/8
義父が事前連絡もなく、家に訪ねてくる。この日は夫が家にいると思い訪ねてきたらしい。私は仕事で不在だった。
行けないのは夫の実家だけなので、本人は仕事で留守。
私の両親がお相手をする。たまたま両親とも家にいたので。
お正月のことも私のせい。お正月のことがあったから、息子が病気になったとのことだったそうだ。
まだ家に住んでいるのは娘がいるからだけで、私は関係ないとのこと。
何もかも悪いのは私のせいで、都合が悪くなると黙り込むという繰り返しだったとのこと。
大体人の親を目の前にして、全部オタクの娘が悪いんですとよく言えたものだと思う。
この日、義父は現金を持参していたが、受け取らず帰ってもらったとのこと。
「何故義父のいる実家にだけ帰れないのか」→私のせい
「では、昔大学を中退した理由は?」→あいつは喋らないからわからない
父が義母の奇行(約束していないのに突然訪ねてきたり、話の途中で電話を切ったりすること)を言及したところ、
→あいつは頭がおかしいから
また、父が、「今回行方不明になったことについて、実家で息子(夫)と話し合いができたのか」と聞いたところ
→あいつは何も言わないから
つまり、先日の行方不明事件についても何に関しても、親子での話し合いはできていないのである。
親子で話し合いがされていないし、どんな理由でこんなことになっているのか何も話をしていないのに、何で全てが
「私のせい」だと分かるのか。と問いただすも、ただただ沈黙だったそうだ。
私は、この時同席すらしていなかったが、状況は手に取るようにわかる。
とにかく、父と息子がこの件について何の話し合いもできていないことでは、こちらでは全員での話し合いは持てないとのことで
帰ってもらったとのことだった。