dingodingoの日記

夫、双極性障害。その家族の日記。離婚までの道のり。

過去日記2018年10月26日~10月29日の日記

10/26
昨日、学童に娘を迎えに行くと、鉄棒で思いっきり遊んでいた。
安心して泣きそうだった。

パパに会いたいという娘のために、来週火曜日水曜日と夫がこちらにやってくる。
「火曜日は15:30から病院だから、終わったらいく」と言っていたけれど、15:30から診察されてお薬が出るまで1時間で終わったとしても、どんなに早くてもこちらに着くのは19:00すぎ。それでは娘はお腹ペコペコである。
やっとパパに会えるのに、帰宅後少しの時間も遊べないのなら、病院の時間か日にちを変更してくれないものかと思っていたけれど、やはりこちらから指示を出さないと、そんな考えには至らないらしい。

電話して、変更してもらうように頼んだ。

今朝、メールが来て、病院の時間を午前中に変更できた旨連絡があった。
なので、こちらには昼過ぎには到着できるという。
昼過ぎには娘が学校から帰ってきていないのはわかっているだろうか。
自分が昼食を食べる時間が必要あ事はわかっているのだろうか。

何故こんなことまで私は心配しているのだろう。

こんな些細な時間の計算さえも、夫には難題になってしまうのだ。
完全に義母譲りである。
過去のいろいろなことが、双極性障害だけの問題ではないような気がしてきた。

10/29
リフォームも佳境に入ってきて、週末キッチンがついた。
真っ白のキッチンで今までよりも5cmくらいしか高くなっていないのに、腰に全く負担がかからない。
今日帰ったら、きっと作業台と作業台の上の収納棚がついているかも。
台所が使えない1週間、究極にキャンプ生活だったから、きっと今日からだんだんと日常が戻ってくると、ほんの少しのことが幸せに感じられると思う。
今朝は、キッチンの蛇口から水が出ることにとても感動した。
本当に2か月、長かった。。

土曜日、いつもの通り忙しく朝から娘の習い事の送迎を繰り返していた。
この日は毎年恒例のキャンドルナイトのため、母はお寺で写仏教室のワークショップみたいなものをやっていた。一日不在。
娘が描いた仏様の絵も飾ってあるため、夕方全部の習い事が終わってからお寺に立ち寄った。
小学生が描いたものとは思えない仏様だった。
娘はおばあちゃん友達とも仲良しなので、お寺で帰りたくないと言い出した。
とりあえず一旦娘をお寺において、家に帰った。
家に着くと、5時過ぎているのにまだ大工さんがこまごまと働いていたので、外に出ていた洗濯物をたたんで、犬の散歩に行った。
もう外は暗くなっていて、結構寒かったけれど、大工さんは終わる気配がない。
そこにリフォーム屋の青年がやってきて、これから水道をつなぐと言うではないか。6時すぎ。

今日外食することは難しいと思い、キャンドルナイトのためにいくつか出ていた屋台をまわって、娘が食べられる(卵が入っていないもの)を捜す。
何件も回ったけど、結局カレーくらいしか食べられるものがなく、カレーをもってお寺によって娘を連れて帰ろうかと思っていたのだけれど、まだ帰りたくないとのこと。
家に帰ってもすることもないし、8時までだとのことだったので、いろいろやりたいことをやるのも良いかと娘を置いてきた。
家に帰ると、6時半過ぎで水道も出るようになっていた。
冷めたカレーを父と2人で食べて、新しいシンクで洗い物をし、することもないので、先にお風呂に入った。
もう8時過ぎていたので、そろそろ帰ってくると思いながら。

お風呂から出てもなかなか帰ってこない。9時過ぎ、さすがにこんなに遅くまで8歳の子供を働かせているなんてないだろうと思い、母に電話すると、今出るところだという。
無性に腹が立った。腹が立って腹が立って、どうにも抑えられず、娘に当たり散らしてしまった。
「こんな夜までふらふら遊んでいるのなら、もうなにもやってあげないから。お風呂にも一人で入って、髪も一人で乾かして、自分のことは全部自分でやって」
と、きつく言ってしまった。
おそらく私は、母に腹を立てていたのに、娘がかわいそうだった。
母とも一時間近く口論し、娘はその間に一人でお風呂にはいり、一人で髪を乾かし、一人で寝た。
つらかっただろうに、全く泣かなかった。
まだ8歳なのに。

今考えれば、たまに楽しくて遊んでくるくらいなんてこともないのだが。

娘は翌日の日曜日も、いつもと同じ6時半に自分で起きて、自分で服を選び、自分で着替えた。
そして、朝から号泣した。

本当にごめんなさい。

あれから娘は土曜日の楽しくて仕方なかったであろうキャンドルナイトの件を一言も話さない。
学校の日記にも書かない。口に出すと嫌がる。
全部私のせいだ。
こういう時には、パパが必要だと思う。
私は、時々自分が抑えられなくなってしまうから。

なんであんなに怒鳴り散らしたのか、自分でもよくわからない。
心配で心配で仕方なかったのは確かだが、あんなに怒鳴らなくてもよかった。
きっと私は、母に娘をとられたような気がしてさみしかったのかもしれない。
でもあんなに怒鳴ることでもなかった。
本当にごめんなさい。

過去日記2018年10月17日~10月25日の日記

10/17
九州からLINEが入った。
3日間、ずっと仕事ばかりしていて外に出ていなかったけれど、今日は久しぶりに外に出ているということだった。
福岡の写真を送ってきた。
夜も眠れているし、朝も起きられているらしい。
ひとまず良かった。

10/19
朝、6時半頃電話が鳴っていたが、同じ部屋で全員寝ていたので出られなかった。
次にこちらから電話した時には、夫が仕事中で話ができなかった。
携帯をよく見ると、LINEが入っていて、昨日遅くに「東京で結婚式があるんだけど、カプセルホテルが取れなかったから家にとまる」
と書いてあった。。今晩。

現在我が家は、1Fのリフォーム中で、台所しか居場所がなく、2Fにすべての荷物を運びこみ、全員がその部屋に寝ている状態だ。
ということを何度も説明しているのだが、夫には何度言っても、現場を見ても、理解はできていなかったのである。
そんな状況なので、今、家に夜中に帰ってくる事なんて無理だよ。と伝えた。
以外にあっけなく、「わかった!じゃあ、実家から直行で行って直行で実家に帰るから大丈夫だよ!」と言っていた。
恐るべし躁状態。超前向き。

10/22
日曜日。結婚式から無事実家に戻り、朝早くジョギングしているとメールがきた。
実家付近の大自然の中を走っている景色の写真が送られてきて、気持ちよさそうだった。
娘にも見せてあげようと思い、パパ、ジョギングしているんだって。
と、写真をみせると、顔を上げず、枕に押し付けている。

無理やり起こすと、泣いている。
「パパに会いたい」と言って泣いているのだ。
あんなに大嫌いだったのに。
病気が良くなっているときのパパは、病気が酷い時のパパとは全然違うという。
病気が酷い時のパパは、もはや人の話なんて聞くこともできず、人が話している内容とは全く違う返事をしてしまう。という。
要するに、人と会話が成り立たなくなってしまうのだ。
娘も、何度も無視されていたのだと、この時気付いた。

でも、今のパパは話をしていて楽しいという。
病気でも、やっぱりパパが好きなんだと思うと切なくなる。

リフォームももうすぐ終わるけど、パパと離れて暮らすことには変わりない。
夫も喜ぶだろうと思い、電話して日を改めて来てもらうことにした。

10/23
あまり連絡がないことは良いことなのだが、ずっと仕事をし続けている可能性があるので、こちらからメールした。
週2回は休みを入れること。たまには娘に連絡してあげてほしいと、メールした。

夜、娘宛に電話があったらしい。
娘は夫の実家のパパの仕事に興味を持っており、パパと仕事の話をすることが楽しくて仕方ないらしい。
子供と仕事の話を通してコミュニケーションをとる実家のやりかたで、自分も娘と接するんだなと興味深く思った。

10/25
今朝起きてきて、いつもハイテンションの娘が一言も口を利かなかった。
熱でもあるのかと計ってみたけど、ない。
どうしたのか聞いてみると、いつもは頭でいろんなことを考えちゃうんだけど、今日は何も浮かばない。と言った。
始終、無表情。全く笑顔がない。
何もしゃべらないのに、ご飯だけはいつもより早く完食した。
昨日アレルギー薬を飲んで寝たから、まだ眠いだけなら良いが、これが父からの遺伝だったらと思うと、居てもたってもいられない。
そんな事がなければ良いと願うばかり。
結局、でかけるまで、一度も笑わなかった。

あんなに素敵な笑顔がこれから先見られなくなってしまったら。。
恐怖である。
そういえば、今日は一度も、踊らなかった。

過去日記2018年10月12日の日記

10/12
山奥の精神病院。
義母と夫と遠くまで遠足。
あの山奥までは車で1.5H。途中の駅で、地方からやってきた義母と夫を車に乗せて山奥まででかけた。
車内、夫はずっとしゃべり続けている。
すごいハイテンション。
気分が良いらしく、「世の中に嫌なことなんて今は何一つない」と言っている。
ものすごい幸福感らしい。

The躁状態である。

この日、本当は夫と義母を山奥の最寄駅で拾おうと思っていたけど、時間を合わせることに困難を感じた(2人とも時間の概念がない)ため、私が時間を潰しやすい駅を選んだ。

山奥の病院に到着して、受付を済ませ、先生の診療まであと35分しかないのに、これから蕎麦を食べに行こうという。
さっきまで「早くしないと先生に申し訳ない」と車中「まだ着かないのか」と繰り返していたくせに、間際になったら蕎麦屋に行ってしまう。
全くよくわからない。
蕎麦屋の居心地がよほどよかったのか、診療時間5分前まで出発しようとしない。
「○○家って、みんな時間にルーズなのよね~」と言っている。
この義母のことをこれほど奇知外だと思ったことは、初めてだったかもしれない。
本当に彼女は何らかの病気だと思う。

病室では、夫一人で1.5H先生と話していた。長いカウンセリングだった。
結局、病名は双極性障害双極性障害はカウンセリングでの治療はほぼ効果がなく、だいたいが薬での調整をしていく薬物療法だということだった。
ほかには、行動療法があって、自分の思考を自分でコントロールすることによって鬱の期間を軽くしたりする方法があるとのことだったが、まだ日本ではほぼ効果がないらしい。

カウンセリングの間中、待合室で義母と長い間話した。
この病気の始まりとか、これからどうしていったら良いのか等。でもほぼ意味不明。話をしているようで会話にはなっていないのである。

アロマをやらせたほうが良いとか、ハリ治療をしたほうが良いなどと言っていた。
けれど、本人が良いと思わないと効果は出ないのではないかと言った。
それなのに、アロマの話がどんどんエスカレートしていって「私がねずみ講をやるからそれをあなたが買えばよい」等、私にとって何のお得にもならない意味不明な事を言っている。

中でも、病気のきっかけは、息子の将来の夢が原因だと思う。という話にはほとほと呆れてしまった。
夫が何かのきっかけっで、自分の将来の夢を義母に話すことがあったという。
それは、「家族だけでい犬を飼えるような家を持ちたい」ということだったという。
それが夫のプレッシャーになったのだという。
そんな当たり前の夢が励みではなく、プレッシャーになってしまうのであれば、夫は結婚しないほうが良かったということになる。

また、些細なことなのだが、私が以前夫ともめたときに、「昔付き合っていた彼氏が私と別れた後に、ブラックカードを持つようになった話」をしたことがある。
なんでその話をしたのかというと、もしかして、私自身が夫の仕事がうまくいかない原因なのではないか?という話の一部なのである。
その彼氏はもともとすごい貧乏な時に私と付き合っていたのだが、別れた後にどんどん出世してしまったのである。
私が「さげまん」なのではないのだろうかと思ってしまうという話である。いまだかつてお金を持っている人と付き合ったことがないからである。
そして、その話を、夫は義母にしたのである。
「そんな話をあなたがしたから、息子には大きなプレッシャーがかかってしまった」という。
結局、なんでもかんでも、悪いことはすべて私のせいなのである。

この日、夫はリフォームできれいになった2Fを初めて見た。
自分が何か月も籠っていたあの暗い部屋である。
ほんの少しの間だったけど、部屋の中に入り「すげ~良い家みたい」と夫なりに感動していたようだった。
ただし、良い家みたいというのは、自分が購入した家について言うのなら良いかもしれないが、人が苦労して建てた家に対して言うものではない。
夫にはその意味はわからないのだろう。
少しだけお金を払ったというだけで、もう自分のものになってしまったとでも思っているのだろうか。

家を見た後、娘のリクエストでラーメンを食べに行った。
久しぶりに娘と夫が仲良く話している姿を見た。
実家での仕事の話を、娘に一生懸命話していた。

過去日記2018年10月3日~10月9日の日記

10/3
早朝LINEで、「薬のおかげでぐっすり眠れた」ときた。
だったら散歩にでも行って朝日を浴びいておいでと返信したら、次の返信は、実家の近所の山に登るロープウェイの中の写真だった。
山がきれいに紅葉して良い季節だ。
今日は、近所に住む叔父が一緒に登ってくれたらしい。
実家に行って、初めての親戚との写真である。

午後、山頂で疲れ切った顔の写真が送られてきた。
今日は薬なしで眠れるのではないだろうか。

10/4
昨晩は電話がなかったので、どうしたかと思いLINEを送ったら、昨晩はよく寝て、今朝早く起きて、今散歩中というメールがきた。
今日は仕事をするらしい。
これで生活のリズムがきちんとすれば、少しはよくなるのではないだろうか。

10/5
ずっとテンションが高いらしく、10/5に電話でもう一つの事業所へは行けたのかどうか確認するも、ずっと話続けている。。
「11月からは、実家のほうの仕事からも給料がはいるから」と言っていた。
妄想が半分入っていると思いながら聞いておいた。

その後連絡がなくなり、家もリフォーム中の引っ越し作業で、朝から晩までくたくただったので、すっかり夫のことを忘れていた。
きれいになった2Fでの生活がスタートしたことと、荷物の搬入などで、気分もよくなったのか、胃腸の調子もとてもよく連休明けを迎えられた。

ところが、10/9の私の誕生日に、夫と義母から相次いで電話やメールが来たことにより、また胃の調子が悪い。

夫からは電話。
お祝いの言葉と「12日のカウンセリングって何時からだったっけ?」
「太っちゃってスーツがはいらないから、買わなきゃいけない」という電話。
そりゃあ、あれだけ何か月も寝たきりで過ごしたのだから、太るよね。。普通。。

カウンセリングは義母が予約をしているので、義母に聞いてほしいし、スーツだってできれば実家で買ってもらいたい。
体形がコロコロ変わるたびにいちいちスーツなんて買えないよ。

11日からこちらに泊まろうとしていたようだが、12日が家具の組み立てだということは前から言っておいたのに何も考えていない。

リフォームの荷物運びや何かだって、夫はほぼ何もしていないのである。
きちんと過ごしている人ならば、うちの両親も同じ部屋でも何も文句を言わないと思うあ、夫だけは嫌だと思う。

義母からは、12日のカウンセリングが終わったら夕食を食べに行かないかというお誘い。
これには返信できていない。
13日は娘は土曜日登校で朝が早いし、第一行きたくない。
こちらがあなたのことをどれくらい嫌いか、わかってほしい。
メールがくるだけで、胃がむかむかするのである。

ここ3日間くらい、幸せにくらしていたのに、たった2人の電話とメールだけでこんなにも嫌な思いをするものなんだと、我ながら驚いた。

過去日記2018年9月30日~10月2日の日記

9/30
あの親切な人と話をしたらしい。
今週から実家での仕事だけは再開するという。
また悪くならないと良いのだが。。

娘に代わってほしいというので、電話を娘にかわると泣きそうに困った顔で娘が助けを求めて台所にやってきた。
「パパがおばあちゃんにお手紙をかけっていう」
「書いてあげれば?」と最初は言ったのだが、ずっと会っていないおばあちゃんに何を書けばよいのかわからないのも無理はない。
しかも、息子であるパパがついおとといまで話もしたくなかった相手である。
その人相手に突然「お誕生日おめでとうの手紙を書け」というのは、本を読んでいないのに読書感想文を書けと言われているようなものである。
要するに、気持ちが籠っていなくても良いから上辺だけ「おめでとう」と言え。ということなのか、はたまた、自分は口もききたくない相手だけれど、娘にとってはおばあちゃんなんだから、当然好きでいてくれなければならない。ということなのか。子供としたら混乱するのである。

ここは私がきっぱり断った。
娘に手紙を書いてほしいなら、まず自分で書けと。

10/1
写真つきのメール。
「Happy Birthdayおかあさん」と書かれたケーキの写真と、泣いている義母の写真。
思わずこちらもらい泣きしそうになった。
ずっと部屋から出てこられなかった息子から、誕生日ケーキを買ってもらったら、誰だって涙が出てくる。
今回の鬱はこれで終わりなのかもしれない。

食事の時、「パパ、おばあちゃんに自分で誕生日のケーキをプレゼントしたみたいだよ」というと、母に鼻で笑われた。

電話がかかってきていたけれど、出なかった。
しばしの家族水いらずの時間を作りたい。

10/2
早朝、実家前の桜並木の写真とともに「ジョギング中」というLINEが入った。
とりあえず、よかった。

朝ごはんを食べながら、「パパ、今日は走っているみたいだよ」と娘に言うと、母がまた鼻で笑ったので「何かおかしい?」と聞くと、
「おかしくはないけど、突然そんなのはすごく変。どうせまたひきこもるんでしょ」と投げ捨てるように言われた。
こんな時、母がとても意地悪な人間だと思う。
そして、「だったらしばらく実家にいればいいのに」という。
もう、夫に帰ってきてっほしくはないのだとわかる。

昨夜、義母の誕生日の話をしてから、こちらの母の様子がおかしい。
苦虫を踏み潰したような顔をしたまま、一切目が合わない。
そして、自分の友達の旦那さんのうつ病がとても悪いことを、とてもにこやかに話していた。
まるで、ひとが不幸なことから自分の幸せを確かめているように感じてしまう。
この家に、夫が元気になって帰ってくることは、不幸でかわいそうな娘を助ける母の役目がなくなってしまうと感じているのだろうか。

自分たちの生活をこれだけ振り回されて、私と同じ目線で物事を見ることはできないよな。と思う。
この病気が始まって、もうこれで3年目なのである。

国民健康保険の話やら3か月できなかったことを、夫は今一生懸命やっているようである。

夜、電話がかかってきたが、妙に早口で自分の言いたいことをまくしたてる。
病院にいったとのことだったが、現在はそう状態で、睡眠時間も3時間しかとれていないことから、また眠るために薬を増やされてしまったらしい。
クリニックでは、心配なのでまた来週きてくださいと言われたらしい。

夕食を一人で食べているからさみしいので、Facetimeで電話をかけてきてほしいとしつこく言ってくる。
娘の困っているので、今日は早く寝てください。と、電話を切った。
こちらにはこちらの生活がある。
いつでも応じられないことをわかってほしい。

サンタクロースについて

昨年、サンタクロースにゲームをお願いしていた娘のために、アマゾンンにてゲームを購入し、もみの木の下に。。

娘が朝起きて、やったー!!サンタさん来た~!
と、喜んでいるのもつかの間、「あれ?これってさー、前にお誕生日プレゼントについていたメッセージカードと同じだ。。」
うっかりしたサンタは、アマゾンにメッセージカードを頼んでしまっていたのだ。
まさか、そんな細かいところに気づくとは。迂闊だった。。

娘小3、サンタクロースが何者なのかについて気付いてしまったのだなついに。。と思っていた。
先週までは。。

現在娘小4。
まわりの友達は、まだサンタクロースを信用しているのかきいてみると、まあ、上の兄弟がいる子たちはもう全く信用していない。
娘の場合は、去年のメッセージカードで母が夢を壊してしまったと思っていたのだが、実は。。

最近になって、やけにお手伝いをするようになり、夕食が終わると自らすすんで食器を片付けてくれ、お風呂まで入れてくれる。そして洗濯物までたたんでくれるようになった。
何故か。。
それは、サンタクロースが来なかったら困るからなのだ。

え?バレたんじゃないの?
どうなの?
どういうことなの?

実は娘は、サンタクロースこそがAmazonを設立した人物だと思っているのだ。

あんな、白髪のおじいさんがわざわざ海外からそりに乗ってやってきて、全世界中の子供たちにプレゼントを配っているなんて大変だなあと思っていたと。。
そして、去年のクリスマスプレゼントにAmazonカードがついていたことで、わかってしまったと。
それは、サンタクロースこそがAmazonという会社を創設した人に違いないということだ。。

世界中にプレゼントを届けるために物流の巨大なシステムを作った人がサンタクロースだというのだ。

なるほど。。
本当かもしれない。

Amazon CEO サンタクロース説。

夫来宅

コロナが収まらない昨今、こんな中、飛行機で地方へ行くという。
そのために、空港から近い我が家を経由して、明日の飛行機に乗るらしい。
行くと決めたら、誰が何を言おうと行くというので、止められないのだが、この状況なので出来たらやめてほしい。
我が家には、年寄が2人いるので、本来ならこの状況を理解してほしいが、説明してもわかってはもらえない。
義実家の人々は、コロナはただの風邪だと思っている人ばかりだろうと簡単に推測できる。
こういった時に何の危機感も持たないタイプである。

我が家では、どうにか感染を防ごうと、子供と私だけは2階で食事をしたり、なるべく両親と触れ合わないようにしている。
こういった努力が、このパンデミックについてなんとも思っていない人に侵されてしまうというのは、本当に悔しい。

ところで、前述のとおり、夫が今日来宅する。
夫の来宅に合わせて、私は、我が家の全財産を隠さなくてはならない。
もしかして、このブログを見ているかもしれないから、場所は言えないが、秘密の場所に隠している。

朝起きて、「そういえば、実印も隠さなければ」と思いついてしまった。今朝。。
実印が閉まってある入れ物を見ると、ない。
あったはずの実印が消えているのである。
焦った。本当に焦った。
朝起きてすぐ、部屋中を捜しまわったけど見つからない。
朝ごはんもそこそこに、もう一度部屋中捜しまわった。

そういえば、娘の荷物の中に入れたような。。。

ありました。
出てきました。実印。

今度は気を付けよう。

緊張感から始まった今日でした。