2016年大晦日について
一年のうち、ゴールデンウィーク、お盆、お正月は義実家にて30名くらいの親戚一同が集まり、3泊くらい飲んだり食べたりを共にする。
私にとって、苦痛この上ない行事が年に3回もあるのだから、一度くらい断ってみても良かっただろうに。と、今になって思うけれど、
夫は、義実家に行くのは絶対で、断るという選択肢はあり得なかった。
何故あり得なかったのか、今となってはまったくもって分からないのであるが、この2016年の大晦日までは絶対的な行事だった事は確かである。
行きたくないけど、なんとか勇気を振り絞って、片道3時間以上運転していたのである。
夫はペーパードライバーだから運転は全て私である。
今考えれば、偉いと思う。
この年の大晦日、なんとか自分を奮い立たせ、義実家に向かった。
いつでも、行きは早い時間に、帰りはゆっくり出発となる。
途中途中で、義父から夫の携帯に、今どこにいるのか。後どれくらいで到着するのか。と電話が入る。
到着すると、私は自分の荷物を解く前にすることがある。
いつもではないが、他の親戚が早く集まっている場合、すごい量の生ゴミがゴミ箱から溢れているため、着いて早々、床に溢れた生ゴミを拾ってゴミ袋に入れ、まとめるのである。
自分はまだ何も食べていないのに、人の食べたゴミだけを片付けるのである。
この時も、私は、嫁だから仕方ないと思っていた。
そして、得体の知れない居心地の悪さの中、自分に仕事があることに感謝さえした。
2016年年末もこんな具合で始まり、なんとかかんとか3日過ごし、後1日我慢すれば帰宅できる。後少し。だったはずだった。
しかし、事件は大晦日の夜に起こったのである。
親戚の伯父が娘のアレルギーについて、親が悪いから娘のアレルギーが治らない。とコンコンと夫に言っている。
気弱な夫は小さな声で、「そんなことないよ〜」とか何とか言っていたのだと思う。
実は、この帰省の1泊目の夜はみんなで外食することになったのだが、娘が卵アレルギーの我が家は一緒に食べることができなかった。
それもこれも、ずっと蟠っていたことが私の頭から離れることがなく、ついにこの時、爆発してしまったのである。
私が伯父に言いたかったのは、何もしていない。病院にも毎月行って相談している。ということ。
それを言ったのだ。
いや、それを言っただけなのだ。本当に。
言い方が悪かったかも知れないけれど、内容についてはそれだけで、他にはまあ、みんなとの外食だって店を変えてくれたら一緒に食べられたんじゃないか。とも言った。
いやこの時、私は、後々こんなに何年も恨まれるようなことを言ったのだろうか。
ただ、気持ちが爆発しているのである。興奮はしていたんだと思う。
それは、義実家では許されない行為だったのである。
そして、この直後、一人の叔父から「出て行け、もう2度と戻ってくるな」と怒鳴られた。
30名の親戚のうち、味方をしてくれたものは一人もいなかった。
7年間、ゴールデンウィーク、お盆、お正月、通い続けていたけれど、誰とも心が通うことはなく、結局、味方はただ一人もいなかったのだ。
私は、大晦日の夜、荷物をまとめ、娘を連れて、自分の実家に帰ってきた。
途中、サービスエリアから、2017年の初日の出を見た。